地球人口の行方

現在の地球の人口は、国連の「世界人口白書」によると70億人に達したと言われています。18世紀の産業革命以降、世界人口の増加速度は進む一方で、特に19世紀末から21世紀にかけては人口爆発とも呼ばれるほどのスピードで増え続けています。しかし、今のように人口が増加し続けていくことは地球にとって必ずしも良いことばかりではありません。人類が増加すればするほど、地球のあらゆる資源が貪られていきます。さらに、産業活動を支えるために化石燃料を使用しなければならず、温室効果ガスの排出量も増加していきます。そして、生態系や環境の破壊にも繋がっていくのです。約4世紀の間に、地球の人口は20億人増加しました。しかし、ここ60年の間には世界の出生率が約半分に減少しているのも事実です。これは、先進国の人口が減少傾向にある一方で、新興国では人口が増え続けており、全体としての世界人口は増加しているためだと見られています。先進国の減少分を新興国の増加分が上回っているため、2050年頃までは世界の人口は増え続けるのではないかと言われています。2065年には世界総人口は100億人に達するという見方もあり、その時には先進国を中心に高齢化が進んでいるのではないかとの懸念も出ています。

世界人口の増加
世界人口の増加

このように、様々な問題を抱えている地球人口の行方ですが、増加を緩やかにして人口を安定させるには、一体どうしたら良いのでしょうか。ある専門家は、その鍵は「出生率を抑えること」だと述べています。アフリカの多くの諸国の人々は避妊の知識を持っていません。出生率も高く、1世帯あたりの子供の数が7人という家庭も多いようです。これらの国は貧困に苦しめられ、常に食料難にさらされているため、せっかく生まれてきた子供が餓死する事態も多発しています。このような状況への解決策として、経済学者達は教育の向上を掲げています。特に、女性に家族計画の教育を促すことで、自らの受胎を調節することができるようになるのではないかと考えられています。しかし、実際に家族計画を行うことによって下がった出生率はたったの10%だとも言われており、アフリカ諸国の人々の意識全体、生活の質そのものを変えていかない限り、根本的な解決には至らないのではないかとも見方も強いようです。宗教的な理由から避妊や中絶ができない国もあることから、この問題が解決に導かれるには今後もしばらく時間を要するでしょう。1970年代にインドで行われた強制避妊術や中国の「一人っ子政策」のように、人口への対策は常に危険をはらんでいるのも事実です。インドは、強制的な集団不妊手術が行われていた歴史を持っています。1970年代初めには、インディラ・ガンディー元首相の下、男性のパイプカットや貧しい人々への強制的な避妊手術がまかり通り、一部の州では避妊手術を受けないと住宅の公的補助が受けられないなどの処置が下されました。この制度に対しては国民の抗議も激しく、ガンディー元首相が政権を下りると共に廃止されましたが、それ以降もインドでは不妊手術の問題が度々ニュースとなっています。先進国では、避妊具にピルが使用されるのが一般的ですが、新興国では女性の不妊手術が行われることが多く、手術の際に使用される医療器具や薬品の汚染から事故が発生しています。お隣の中国では1979年から「一人っ子政策」が続けられてきましたが、2015年、ついに廃止となりました。このニュースは日本のみならず欧米でも大きく報じられましたが、この政策自体が人間の自由を侵す残虐な政策だとする意見も少なくありません。もともと人口増加による食糧危機への対策として始まった「一人っ子政策」ですが、インドの場合と同じような強制的な避妊手術や妊娠後期での中絶、さらには乳児の殺害といった考えられないような残虐で非人道的な行為が行われていたとも言われています。国民の出産を政府が操縦することについては人権上の問題だとする見方も強く、さらに「一人っ子政策」が廃止されたとは言っても、今後も3人目の出産は認められないなど、いまだ国民が子供を何人持つかの自由が与えられた訳ではありません。このような状況から、長きに渡って続けられてきた残虐な政策が終焉を迎えたことに対しても、各国の見方は冷ややかなものになっています。地球は無限大の広さを有している訳ではありません。人類が増えれば増える程、地球に与える負荷量も増加します。人間にとって恵み深い資源を与え続けてくれた地球を守っていくために、これからは人間が努力をしていく必要があるでしょう。決して、インドや中国のようなやり方ではなく、倫理的、生産的な方法で地球人口を調節していくことが今求められています。それこそが今後も人類と地球が共存していく唯一の方法だと言えるのではないでしょうか。未来の地球のため、そして人類のさらなる繁栄のためにできることを私達が考えていかなければならない時がやって来ているようです。